スープラで戦った2シーズン目は、
最高位は2位。
ランキングでも6位となる。
2016年からモータースポーツに参戦し、新たなチャレンジを重ねてきたHIROSHIMA TOYOPET RACINGは、スーパー耐久シリーズでのメインステージをGT4車両(※)によって競われるST-Zクラスに移し、2シーズン目を迎えた。 比較的歴史の新しいクラスではあるが、今ではシリーズで一、二を争う激戦区に投じる車両は、トヨタGRスープラGT4だ。 「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」をいずれも広島県出身のドライバー、ジェントルマンドライバーの松田利之、古谷悠河と檜井保孝は昨年から継続、そして新たに加わった、スーパーFJやFIA-F4の参戦経験を持つ、新進気鋭の中村賢明の4人に託す。シリーズは1戦増の全7戦となり、シリーズランキングは上位6戦の合計で決定。国内の主要サーキットを転戦し、鈴鹿サーキットで幕を開け、鈴鹿サーキットで幕を閉じる。3時間から24時間に及ぶ、過酷なレースを戦っていく。 ※GT4車両とは近年、非常に注目を集めている市販のGTカー。同様のコンセプトを持つFIA-GT3車両よりエアロやタイヤがコンパクト等の違いはあるが、その一方でABSやトラクションコントロール、パドルシフトなどドライバーエイドがより充実しており、ジェントルマンドライバーにも扱いやすく、耐久レースにも適しているのが特徴である。
第1戦:鈴鹿サーキット
3/19(土)〜20(日)
シリーズ開幕戦の舞台は、三重県の鈴鹿サーキット。F1日本GPが開催されることで知られ、低速から高速までバラエティに富んだコーナーが、2本のストレートを挟んで巧みにレイアウトされ、世界中のサーキットを知るF1ドライバーをも唸らせる“ドライバーズサーキット”として名高い。決勝は5時間レースとして競われる。 予選は松田が臨んだAドライバー予選こそドライコンディションが保たれ、2分13秒654を記して4番手につける。だが、その後に雨が降り始め、Bドライバー予選では古谷は早々とアタックすることを決め、十分にタイヤに熱が加えられていない状態だったにもかかわらず、2分10秒940をメークして3番手に。スーパー耐久独自の規定である、AドライバーとBドライバーのタイム合算では4番手を獲得。「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」は、好位置から決勝に臨むこととなった。 決勝は再びドライコンディションに転じ、開幕戦のスタートドライバーを託されたのは松田。ライバルのほとんどがプロを起用する中、慎重な発進により7番手に順位を落とすも、前からは大きく遅れず。アクシデント発生によるFCY(フルコースイエロー)からセーフティカー(SC)ラン切り替え後に、早々とピットで給油を行ったことから、9周目に松田はひとつ順位を上げた。1時間を経過して間もなく、24周目に松田から古谷に交代。周回を重ね、燃料も減ってタイヤのグリップが落ちてきた頃に、古谷が真骨頂を見せた。2時間経過直後の50周目に1台をかわして5番手に浮上。4番手との差も詰めていった最中の61周目に中村と交代する。初レースとは思えぬほどコンスタントに中村は走行し、最終スティントの1時間強、93周目から再び古谷がドライブ。ポジションアップは果たせなかったものの、5位入賞をまずは果たした。
第2戦:富士スピードウェイ
6/3(金)〜5(日)
シリーズ第2戦は、静岡県の富士スピードウェイで24時間レースとして開催されたが、HIROSHIMA TOYOPET RACINGは、併せて出場するST-5クラスに勢力を集中するため、「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」では参戦せず。坂裕之/古谷/武藤壮太/中村/大西隆生/松田組で臨んだ「Access HIROSHIMA+ Vitz」は予選で9番手につけ、決勝でも一時3番手を走行するも、残り6時間でエンジントラブルが発生し、無念のリタイアとなった。
第3戦:スポーツランドSUGO
7/9(土)〜10(日)
例年、シリーズ第2戦として4月に行われていた、宮城県のスポーツランドSUGOながら、今年は7月に改められ、シリーズ第3戦として開催されることとなった。アップダウンに富んだテクニカルコースとして知られ、アクセルを踏んで回るコーナーが多いことも特徴のひとつ。最終コーナーは国内のサーキットで最も横Gがかかるとされ、立ち上がると上り勾配のストレートが位置し、まるで天に向かって駆け上っていくような印象もあるという。なお、決勝は2グループに分けられた、2時間レースとしての戦いとなる。
予選はAドライバー予選こそドライコンディションが保たれ、1分31秒639を記録した松田は5番手につける。ところが、その直後に雨が降り出し、Bドライバー予選に臨んだ古谷は、雨足が強まるタイミングでアタックしていたことが功を奏し、1分28秒069をマークして3番手。タイム合算では4番手につけた。
好天に恵まれた日曜日の決勝では、中村に初めてスタートが託された。3番手に順位を上げた中村は、40周目に古谷と交代。FCY解除後だったため、先に交代を行っていたチームに逆転され、5番手に交代するも、ギャップは広げず。残り1時間を切った75周目から最終スティントを任された松田は、先行車両の後退に乗じて4番手に浮上。そのまま「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」は4位でゴールした。レース後の再車検で先着した1台にペナルティが課せられたため、表彰台に上がることはできなかったものの、ひとつ順位を繰り上げ、3位となった。
第4戦:オートポリス
7/30(土)〜31(日)
シリーズ第4戦の舞台である、大分県のオートポリスもまた、アップダウンに富んだテクニカルコースであり、阿蘇山中の山間を活かしたレイアウトとされている。非常にタイヤに攻撃性の高いことから、マネージメントが勝敗を左右することも少なくない。なお、決勝は再び5時間レースとして競われる。
予選はまたしても雨に見舞われるも、直前にやんでタイヤ選択が微妙なところだったが、ドライタイヤを履いたAドライバーの松田は徐々にタイムを詰めていき2分1秒174で5番手につけた。続いてBドライバー予選に臨むはずだった古谷ながら、燃料ポンプのトラブルに見舞われ、走行できず。嘆願書の提出により、「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」はグループ1の最後尾からとはなったが、決勝への出走が認められた。
日曜日も天気は不純なまま。しかし、決勝のスタート時はまだドライコンディションは保たれていた。第4戦のスタート担当、古谷は最後尾から1周目だけで2台を抜き、その後も順位を上げ続けて3番手に浮上。アクシデント発生でFCYが提示される直前に、中村と交代できたのが28周目。ロスを最小限にできたことで、3番手のままコースに復帰し、やがてひとつ順位を落とすもプロを相手にバトルを繰り広げて、経験という引き出しを増やしていた。
ほぼ2時間半経過した68周目に松田と交代、ライバルとのピットタイミングの違いによって、再び3番手へ。残り1時間は再び古谷に託され、第1スティントで見せた激走の再現が期待されるも、雨がまた降り始めてしまう。勝負に出るべく積極的にタイヤを換えるも、これは功を奏せず。それでも最後まで3番手は守り抜き、「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」は2戦連続で3位を獲得した。
第5戦:モビリティリゾートもてぎ
9/18(日)〜19(月・祝)
シリーズ第5戦の舞台は、栃木県のモビリティリゾートもてぎ。ツインリンクもてぎより名称も改められて、初めてのスーパー耐久開催となった。ストップ&ゴーが繰り返されるレイアウトは、タイヤよりブレーキにかかる不安が極めて大きい。なお、このレースもまた、5時間の長丁場とあって、ブレーキのマネージメントがより重視されることとなる。
金曜日までの練習は雨に見舞われるも、午後の専有走行ではドライタイヤが履けるまでに。土曜日の予選を、ドライのぶっつけ本番で望まずに済んだのは何よりだった。Aドライバー予選で松田は2分3秒607を記して4番手につけると、Bドライバー予選に臨んだ古谷は、2分1秒609で5番手に。それでも合算タイムでは3番手となり、決勝に2列目から挑むこととなった。
日曜日のもてぎは一転して青空が広がるようになり、それはまた暑さとの戦いとなることも意味していた。今回もスタート担当は古谷。まずはポジションキープからレースを開始するも、長丁場を意識して、やや抑えて走っていたことから、やがて5番手に順位を落とすも、前から大きな遅れは取らず。36周目に中村と交代すると、トップのトラブルによりひとつ順位を上げたばかりか、アクシデント発生でFCYが提示される直前に古谷と交代でき、ロスを最小限にできたことで75周目からは、一気に2番手に順位を上げることができた。
だが、81周目に「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」は、突然ピットに戻ってくる。左フロントのタイヤにトラブルが発生したためだ。すぐに交換して復帰したが、ここで抱えたロスによって勝負権は完全に奪われた。そのまま古谷は淡々と周回を重ねるも、ST-Zクラスにはよりシリアスなトラブルが相次いだ。103周目からの残り1時間を託された松田は6番手に上がり、そのままポジションをキープ。6位でチェッカーを受けた。
第6戦:岡山国際サーキット
10/15(土)〜16(日)
シリーズ第6戦は、HIROSHIMA TOYOPET RECINGにとってホームコースである、岡山国際サーキットが舞台。かつてTIサーキット英田と呼ばれていた頃、F1パシフィックGPを開催し、あのアイルトン・セナが持つコースレコードは未だ破られていない。多くのコーナーが低中速で、アベレージはそう高くないものの、走りにはリズムを要するサーキットである。
天気に恵まれた予選は、Aドライバーの松田が1分38秒310で5番手、Bドライバーの古谷も1分36秒391をマークして5番手に。合算タイムでも「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」は5番手となった。
決勝は2グループに分けられ、3時間で競われた。スタートドライバーは2回目となる中村は、1周目こそ5番手のままだったが、3周目に1台を、5周目にはもう1台抜いて3番手に。14周目に4番手を退くも、直後にFCYが提示され、解除後のリスタートをうまく決めたことで、すぐに順位を戻していた。スタートからほぼ1時間経過後の35周目に交代した古谷は、49周目には3番手に浮上。残り1時間を切ったタイミングで3番手のまま、73周目に松田と代わり、その時点でほぼ10秒あった2番手との差を、徐々に詰めていく。
勢いに乗った松田は91周目の2コーナーで、ついに2番手に浮上。その後も後続を寄せつけず安定の走りを見せ、「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」は、チーム最上位となる2位を獲得した。
第7戦:鈴鹿サーキット
11/26(土)〜27(日)
最終戦は、再び鈴鹿が舞台となった。曇天ではあったが、予選はドライコンディションで争われた。Aドライバーの松田は2分14秒450で3番手につけるも、Bドライバーの古谷は2分13秒151で6番手に甘んじ、第6戦までのような好感触を得られずにいた。合算タイムにおいては4番手となるも、決勝に向けては一抹の不安を残す。
日曜日の鈴鹿は一転して、天気に恵まれて、シーズンを締めるに相応しい、最高のコンディションとなっていた。今回のスタート担当は久々に古谷が務め、ひとつ順位を落としてレースを開始するも、トップはジェントルマンを含まず臨んでいたことから、あらかじめ60秒ストップのペナルティが決まっており、これを履行した7周目に古谷は4番手に順位を戻す。
1時間14分経過した、26周目に中村と交代。直後にSCが入ってロスを最小限とする機会を逸したこと、さらに中村の走行中からデフが不調をきたしたことで、いったんは6番手まで落ちてしまう。しかし、間もなく3時間経過となる59周目、「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」に古谷が再び乗り込むと、逆に今度はピットタイミングにも恵まれ、5番手に再浮上。
デフは不調のまま厳しい状況においても、ポジションを落とすことなく、むしろ後続を引き離せたのは、エースドライバーとして著しい成長の証ともなった。
そして83周目、残り約1時間15分のラストスティントは、松田に託された。デフの不調はさらに進んでいたが、古谷が築いた後続とのマージンをしっかり守り抜き、5位でフィニッシュ。FCYが7回、SCも2回出る大波乱の展開の中、ドライバーが誰ひとりミスなく、完走を果たしたことで、最終的なランキングは昨年の10位を上回る、6位となった。
シーズン総括
今シーズンの「Access HIROSHIMA+GR SUPRA GT4」は、出場した6戦全て完走を果たし、2位1回、3位2回と、昨シーズンを上回る安定の成績を残した一方で、高得点が可能な「富士24時間」を欠場したことによって、シリーズランキングは6位となった。
大収穫は、新たにエースとなった古谷の成長だろう。昨シーズンはDドライバーとはいえ、平川亮がチームの牽引役だったが、WEC(世界耐久選手権)にフル参戦が決定し、チームを離れることになり、大役を担う格好となったが、責は十分に果たせていた。こと決勝での安定感は高く、守るべきところは守り続け、攻めるところは切れ味鋭く攻め続けていた。
ジェントルマンドライバーの松田も、危うさがなくなった。自信を持って走れるようになり、その最たる例が、第6戦岡山での2番手浮上だった。どうやら相手はエンジン不調を抱えていたようだが、与えられたチャンスを逃さなかったのは見事の一言。
新加入の中村も、これまではフォーミュラの経験しかなかったが、予想以上に早く適性を見せ、GT4のスープラを掌中に収めていた。併せて参戦してチャンピオンを確定している、OKAYAMAチャレンジカップのN1-86との相乗効果もあったに違いない。
檜井は今シーズン、一度も決勝を走らなかったものの、参謀役としてチームを牽引。ベテランの豊富な経験は、レース運びにいくつもの好影響を及ぼした。最終戦は、同じ広島に本拠を置くMAZDA SPIRIT RACINGに招聘され、ともにレースを戦うことはできなかったが、常にドライバー3人の心の拠り所となっていた。
Comment選手のコメント
最終戦はいろいろあって、残念でした。このところ、ずっと表彰台に上がっていたので、最後も上がりたかったですね。でも、楽しかったですよ。
このチーム僕はヴィッツで1年、スープラで2年、皆さんと一緒にできて本当によかったです、四輪最初の年からS耐をやって、すごい勉強になって成長できたと思うので、本当にいい経験になりました。ありがとうございました。
S耐はずっと表彰台だったので、最後はいちばん高いところ行きたかったですけど、ちょっときつかったですね。今までずっとフォーミュラだけやってきたので、今年こうやって初めてハコにも乗せてもらって、勉強になりましたし、自分のドライビングの幅も広がったと思います。この経験を活かして、またフォーミュラにも出たいなと少し思っています。